寝台急行銀河の歴史

寝台急行銀河の歴史

寝台列車

寝台列車は夕方から夜に始発駅を出発し、翌日の朝に終着駅に到着する列車。

寝ている間に目的地に到着できる列車として、かつて国民の重要な足として利用されてきた。

だが新幹線の開業・高速化や航空機の需要の増加、さらには夜の移動手段としても夜行バスの充実により、寝台列車の乗客は年々減少していった。

それによって20世紀の終わりごろから寝台列車は次々廃止され、2009年3月13日に東京~熊本を結ぶはやぶさと東京~大分を結ぶ富士が廃止されたことにより、東海道本線の機関車牽引の寝台列車は全滅。

さらに多くの寝台列車の乗客が減少するのを尻目に、豪華寝台列車として毎日満席になるほどの人気があった上野~札幌を結ぶ北斗星とカシオペアも、青函トンネルを北海道新幹線に受け渡すために北斗星は2015年3月13日、カシオペアは2016年3月20日に廃止になった。

これにより2018年現在、日本に残る定期の寝台列車は東京~出雲を結ぶサンライズ出雲と、東京~高松を結ぶサンライズ瀬戸だけになってしまい、ブルートレインとして親しまれた機関車が牽引する定期寝台列車はすべて消滅した。

寝台急行銀河

このまとめでは昔、多くの乗客に利用されてきた寝台列車のうち、寝台急行銀河を紹介する。

寝台急行銀河は東京~大阪を結ぶ寝台列車で、かつては神戸まで運転されていた。

多くの寝台列車は東京から中国地方や九州といった長距離を運転していたのに対し、銀河は寝台列車としては比較的短い556.4kmの運転距離。

そのため特急ではなく急行として運転され、平成以降は日本に存在する唯一の寝台急行列車となっていた。

そして所要時間が半日を超え、終着駅の到着が昼前後になる九州行きの寝台列車とは違って、距離が短い銀河は始発駅を新幹線や飛行機の最終便より遅く出発し、終着駅に新幹線や飛行機の翌日の始発便より早く到着できる。

廃止直前のダイヤ

下り:東京23時00分→大阪7時18分

上り:大阪22時22分→東京6時42分

東京~大阪の寝台列車の歴史

東京と大阪を結ぶ夜行列車の歴史は古く、かつては1日に多くの寝台列車が運転されていた。

かつては列車に愛称はなく、急行1列車、2列車、11列車などと番号で呼ばれていた。下りが奇数、上りが偶数の付番である。

戦後直後の1949年9月15日のダイヤ改正で列車に愛称がつけられることになり、東京~大阪の急行15・16列車に銀河と名付けられた。

なおこの改正までは11・12列車であったが、列車の増発により15・16列車に改番された。

1950年11月8日には急行2017・2018列車に明星、急行15・16列車に彗星と名付けられた。

1953年11月には月光、1961年3月には金星が運転開始。

さらに不定期列車として1958年にあかつき、1959年にすばるが運転開始。

東京~大阪・神戸間の寝台急行は最大で銀河・明星・彗星・月光・あかつき・すばるの最大7本になり、東海道寝台急行7人衆と呼ばれた。

1964年10月1日の東海道新幹線の開業により、東京~大阪間の東海道本線の優等列車は削減。

同改正で彗星・あかつき・すばるが廃止、翌1956年10月のダイヤ改正で金星・月光が廃止され、東京~大阪・神戸間の寝台列車は銀河と明星のみに。

ちなみにその後彗星は京都~宮崎、あかつきは京都~長崎を結ぶ寝台列車の愛称に再利用されている。

1968年10月に明星は銀河に統合され、銀河は1日2本の運転になる。

こうして新幹線開業によって同区間の寝台列車が次々廃止された中で、銀河だけが生き残り半世紀以上に渡って走り続けた。

銀河の廃止

新幹線の最終電車が発車した後に出発し、翌日の新幹線の始発電車より早く到着できる列車としてビジネスマンを中心に多くの乗客に利用された寝台急行銀河。

だが2008年3月14日に惜しまれつつ廃止になり、半世紀以上の歴史に幕を閉じた。

なぜ寝台急行銀河は廃止されたのか

廃止理由は新幹線や飛行機、夜行高速バスとの競争に負けたからではない。

深夜に寝ている間に目的地に到着でき、しかも東京~大阪という世界一の輸送量を誇る区間を運転している。
需要がまったくないわけがなく、東京~大阪間の夜行バスは今でも日本一の運転本数がある。
なのになぜ寝台急行銀河は廃止されたのか。

原因は国鉄の分割民営化

1987年の国鉄の民営化により、東京~神戸間の東海道本線はJR東日本、JR東海、JR西日本の三社に分割された。
そのため銀河は三社に渡って運行されるのだが、それぞれの会社の事情の違いでうまく融合が効かず、いわゆる足を引っ張り合う状態になってしまった。

会社をまたがる直通列車には各社に管轄区間の運賃収入が入るが、そのうち5%は切符を発売した駅の収入となる。

JR東海の管轄である熱海~米原間は銀河の通過時間が深夜や未明になるため、JR東海の駅からは銀河の利用者は少なく、利益は少ない。

運転区間はJR東海の区間が一番長いため、運賃収入はJR東海が多くもらっているが

銀河の車両はJR西日本の所属のためJR東海からJR西日本に車両使用料が発生し、その支払をするとJR東海の利益は減る。

そして100km程度の運転区間しかないJR東日本やJR西日本も利益は少ない

こうして三社のいずれもメリットが少ない寝台急行銀河は、乗客が減ると廃止の動きが加速した。

さらにどの寝台列車も利益が少ないJR東海は寝台列車の運転自体に消極的で、機関車は維持費がかかるため、民営化してまもなく機関士の育成を打ち切った。
国鉄時代からの機関士は定年で次々引退し、JR東海から機関士がいなくなると、東海道本線の機関車牽引の寝台列車はすべて廃止せざる得なくなった。

こうして需要が完全になくなったわけではなくても、さまざまな理由で寝台列車は廃止されていった。

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