どうなる大塚家具?お家騒動をおこした会社の末路

2015年のお家騒動から約3年

過去お家騒動をおこした会社はどうなっているのでしょうか?

『キミジマ』

君島一郎によるブランドKIMIJIMAは、いわゆる社交界や上流階級にも好まれ、日本では皇族の愛用者も得た。こうしてファッション雑誌などのメディアでKIMIJIMAブランドが紹介される時には”皇族もおめしになる”といったイメージが添えられるようになり、それにより世の女性の間で”憧れのブランド”との位置づけを得ることにも成功、一時期、日本のオートクチュール界で一大勢力を誇った。

こうした成功の中、1995年12月5日、女優の吉川十和子が婚外子の君島明(当時の名。佐藤明から改名、その後さらに君島誉幸と改名)と11月中旬に婚約したことを発表、その一見華やかな結婚がマスコミで話題になった(婚姻届は’95年12月11日、結婚式は’96年2月)。だがその発表を機にして、息子の明が本妻の君島由希子の子ではないことや、息子にまつわる様々なスキャンダル、君島家の複雑な家族関係・人間関係、兄の立洋と明の異母兄弟間の対立[1]等々が次々に発覚、連日マスコミで大きく扱われるようになり、それらの芳しからぬイメージがKIMIJIMAブランドに常につきまとうことになり、長年をかけて築かれたKIMIJIMAブランドのブランドイメージは短期間で地に落ちることになった。君島のブティック各店は売上が激減、経営は一気に悪化した。

世界的に有名だった、トップデザイナーの君島一郎氏が突然亡くなったのが22年前。
総資産は50億円。
複雑な家族環境で、本妻の間に生まれた立洋氏と、内縁の妻との間に生まれた明氏がいる。

立洋と明がはじめて出会ったのは、一郎の霊安室でそこから、ブランドを巡って異母兄弟による確執が始まった。
そして、一郎の遺言により「君島インターナショナル」は、明氏が受け継いだ。

君島は莫大な借金を遺したとされ、君島が遺した法人およびブティックは、家族間、特に立洋との様々な争いの後(当時“骨肉の争い”とたびたび形容された)、君島明が相続することになったものの、支払いが滞るトラブルをたびたび引き起こした。結局ブティックも2000年代中に全て閉店となり現在では一店舗も残っていない。

『キミジマ』 その後

君島一郎氏の本妻・由紀子さんと長男・立洋さんは自身で「Yukiko Kimijima」ブランドを展開

十和子さんは自ら広告塔と化し、十和子ブランドの化粧品を開発。2005年に立ち上げた「FELICE TOWAKO COSME(フェリーチェ・トワコ・コスメ)」の業績はここ数年うなぎ上りだとか。「FELICE TOWAKO COSME」の代表取締役社長は誉幸さんで、十和子さんはあくまで商品開発担当。

『一澤帆布工業』

一澤帆布工業株式会社(いちざわはんぷこうぎょう)は、日本の京都府京都市東山区にある布製かばんのメーカーである。「京都市東山知恩院前上ル 一澤帆布製」と縫い込まれた赤枠のタグで知られる。

2006年、先代・一澤信夫氏が亡くなった後、元銀行員の長男・信太郎氏と、当時の社長である3男・信三郎氏との間で信夫会長の遺言書を巡る兄弟間で起きた相続問題が起きた。

2001年の3代目会長の信夫氏の死後、自社株を元銀行員で長男の信太郎氏(64)と四男の喜久夫氏に譲るとした遺言書と、株の大半を当時社長だった三男の信三郎氏(61)夫妻に譲るとした遺言書の計2通あることが発覚。経営権をめぐって訴訟になり、04年には信三郎氏側が敗訴し、05年に社長の座を解任される。

 しかし、昨年6月、長男らに株を譲るとした遺言書を「無効」とする判決が最高裁で確定。長男の信太郎氏は創業家の経営を離れた。この後、信三郎氏は創業家の経営に復帰。いまは、解任中の06年に立ち上げた新ブランド「一澤信三郎帆布」を創業家の近くで展開する。老舗ブランドの「一澤帆布」については「経営から離れていた間に、物づくりのやり方が変わってしまった」として休業。

 そうしたなか、先代会長のもとで商品のデザインを手がけてきた四男の喜久夫氏が新ブランドを立ち上げた。

代表権を失った信三郎さんは職人全員とともに「一澤信三郎帆布」を立ち上げ再始動。その後、再び起こした裁判で主張が認められたため、一澤帆布は信三郎さんの元に戻った。現在の一澤信三郎帆布は「信三郎鞄(正式には「革」偏ではなく「布」偏)」「信三郎の3ブランドで展開。ネームタグも3種類ある。

その結果、信太郎氏に4万6180株の保有が認められ、信太郎氏の持「第2の遺書」は、「偽造によるものであると認めることはできない」との判決が下されるも、経営権に影響はなかったと言う。

つまり、信太郎氏は現在、株主として「一澤帆布」を見守り続けているということになろう。

『赤福』

2007年10月に消費期限偽装事件が発覚。偽装事件の責任をとり、当時会長であった2代目社長の濱田益嗣氏が会長職を退く。3代目の濱田典保氏は社長に留任し、経営権を握った。
 赤福株の16%は益嗣氏と典保氏がそれぞれ8%ずつ保有するが、残り84%は創業家の資産管理会社である「濱田創業」が保有する。益嗣氏は濱田創業の社長を務め、株主として赤福に対し絶大な影響力を保持していた。

2014年4月、典保氏が社長を突如解任され、代表権のない会長に退くと、その母親(益嗣氏の妻)の濱田勝子氏が4代目社長に就いた。突然の社長交代であった。

現在の代表取締役会長は濱田益嗣(はまだ ますたね)、社長は12代目(企業化4代目)の濱田勝子(はまだ まさるこ。株式会社初代社長[9]・濱田ますの孫である益嗣の妻。前社長・濱田典保の母)。2014年4月23日より現職。非上場企業であり、赤福の発行済み株式は濱田一族が大株主の濱田総業が84%を保有。残りは益嗣と典保が二分している[10][11]。

これらの企業はなんやかんやとうまく残っていますね。

『大塚家具』の今後は?

株価は1/2以下に・・・

なかなか厳しい状態の様です

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