8割の人々が就く『マックジョブ』と、時代が求める働き方

8割の人々が就く『マックジョブ』と、時代が求める働き方

低賃金、低スキル、重労働の「マックジョブ」と、時代に合わせ自ら価値を生み続ける「クリエイティブ・クラス」から、これからの働き方を考えてみよう。

加速する労働の二極化

グローバルな世界では二割のクリエイティブ・クラスと八割のマックジョブに分かれるといわれています。

クリエイティブクラスは、他人にはできない創造的で専門性の高い仕事をするので当然収入は高い。

一方のマックジョブは、『手順さえ踏めば誰でもできる仕事』『上から言われたことを実行するだけの仕事』。

この先、
・きわめて価値の高い仕事をする職種(上層)
もしくは
・肉体労働者、もっといえば低賃金労働者(下層)
の2つしかありません。

その中間に位置する仕事は、これからの時代はロボットやAIに奪われていくといわれています。

① 労働者の多くが属する「マックジョブ」

労働者の8割は「マックジョブ」に就いている。

マックジョブ(McJob)とは、低賃金・低スキル・重労働(長時間労働・過度の疲労を伴う労働)、マニュアルに沿うだけの単調で将来性のない仕事の総称。

「マックジョブ」は、大手ファーストフード店にちなんだ名称です。
1980年代のアメリカで登場し、オックスフォード英語辞典にも掲載されている言葉です。

この国では一度非正規になると、なかなか正規雇用にはなれません。更に、フリーターや派遣での職務経験は、基本的に評価されません。マックジョブとして。

マックジョブにスキルは必要ないため、人材は使い捨てにされ続けています。

誰でもできる仕事(=マックジョブ)は、他の人に取って代わられてしまうという点で、不安定であり、また新興国の安い賃金の労働者の参入によって収入が下落していくリスクがあります。

世の中の80%以上の人が属するマックジョブは特殊能力を必要とされないので高い収入を望めませんが、スペシャリストと比べて責任が低いので、仕事や人間関係で悩むことは少ないです。

失敗しても責任追及されない代わりに、収入も低い。もっとも『仕事のストレスが少ない』『時間の融通が利く』などのメリットがあるので、それを求めるのであれば問題ない。

マクドナルド自身はこの用語の使用に反発しており、2003年6月の改訂でこの語句を掲載し、なおかつ「安い給料で、将来性のない仕事」「犬に食わせるような仕事」と定義づけた『Merriam-Webster’s Collegiate Dictionary』に対し「レストラン産業で働く1200万人の従業員を侮辱するもの」として削除を要請した。しかし「マックジョブを生んでいる会社こそが、むしろ従業員を侮辱している」と考える編集部によって却下されている。

② 時代が求める「クリエイティブクラス」

社会に対して価値を生み続けることのできる人々。

「クリエイティブ・クラス」とは、意味のある新しいものを創り出すことに従事する人々のこと。

「クリエイティブクラス」とは、経済成長の鍵となる推進力を持つと認識されている社会経済学上の階級のこと。

デザイナーや芸術家、編集者などに限らず、政治・経済から、法律、教育、エンターテインメントに至るまで、どんな分野に属する人もこの階層に入ることができるとされています。

「デザイン思考家(クリエイティブクラス)」はワクワクするような楽しいプロジェクトや卓越した技術を駆使した仕事など、やりがいと責任がある仕事をして最前線にいたいと考える傾向があります。

やりがいや責任など内発的報酬を重視することは「デザイン思考家(クリエイティブクラス)」にとっての前提条件となっていると考えられています。

しかし、クリエイティブ・クラスへのハードルは高く、発想力、問題解決能力、実行力、コミュニケーション能力など、あらゆる能力が必要とされ、常に改善していける人でないとハードルを乗り越えることができません。

クリエイティブ・クラスという概念は、現状の社会の中で新しい価値を創造できる、主導できる知的労働者といえます。

多くの先進国は、クリエイティブ・クラスと呼ばれる新しい価値をグローバルに共有する人材が経済成長を担う、クリエイティブ経済の段階に入った

ほとんどのひとは果ての国での拡張可能な仕事に魅力を感じるだろうけれど、ブラック・スワン(きわめてまれな成功)に出会えるひとはごく一部だ。

あなたの労働はどちら?

「自由と成長の時代」は西洋型社会の人間に無限の夢を与え続けた。経済成長による新しい仕事や産業の発展。それはやりがいのある仕事が存在するという夢を人に与え続けた。

しかし、経済成長の終焉と社会の徹底的な合理化とシステム化により、西洋型社会の人類は結局一周して「合理化という鉄の檻」に囚われ、再び「マックジョブ」に回帰しつつあるのだと思う。

自分の仕事を自分にしかできないレベルあるいは分野まで属人化させる。それしか「マックジョブ化」の恐怖から逃れられる方法は無いのです。

「自分の仕事は、自分だから出来る仕事なのか?それとも、他の人でも出来る仕事をたまたま自分がやっているだけなのか?」と。後者なら、やるべきことがあるはずです。

たとえ「マックジョブ」しか残っていないとしても、そこで優雅に暮らせる社会とは何か? もっといえば、「働くこと」「稼ぐこと」「社会の原資としての税金」そして「享受すべき生活の質」について、もっと深くイマジネーションを働かせるべき時期にきたのではないか?

Sorry, comments are closed for this post.